比例道

老害は死ねという暴論

2021年7月9日 11:46 ・ 社会 ・ 経済 ・ 元の記事
私は以前から社会に害を垂れ流す老人は死ぬべきだと言ってきた。しかし、賛同してくれる人は少なく、暴論とみなされる。害をなしていない老人まで死ねとは言ってない。子供と若者にも害を垂れ流している人はいるが、彼らは更生する可能性があるので見守ることにしている。老害は更生する可能性が非常に低い。
将来シンギュラリティを迎えたAIが実現して、そのAIにお伺いを立てると私と同じことを言い出すかもしれない。老害がいなくなることによる年金、社会保障費の経済的メリット、間違った決断が減るメリット、若者を精神的、肉体的に傷つけることの消失メリット等々を精密に計算して足し合わせると、社会に対するメリットは大きいことが見える形で分かるだろう。しかもAIは私より公正に老害を判定できるから信用できる。ところがその知性の結晶のようなAIも、たぶん私と同じ扱いだろう。とんでもないことを言い出すAIだ、その意見を採用することはできないとなる。分かった風な連中は「こういうことは時間をかけて議論すべきだ」と言う。時間をかけると言うとなぜか説得力があって、たいていの問題は先送りになる。
歴史を顧みると問題を先送りして問題を解決した事例は数少ないという事実に気付く。また、問題先送りで犠牲になった人々のことが顧みられることが少ないのが悲しい。
現在失敗していてそのままでは失敗の影響がどんどん大きくなる問題は今すぐ失敗している方策を止めるべきだと言う意見は現在では広く認められているのに、実際にその意見が実行されることが少ないのは不思議でならない。
100歩譲って時間をかけるとしたら、私は「老害から選挙権を取り上げる」「子供にも選挙権を与える」を提案したい。
しかし、こんなぬるいことしかしてなかったら100年後の人に「答が分かっていたのになぜ毅然と実行してくれなかったのか」と恨み言を言われるのは必至だ。

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